巨人の生態 6 ~人食いの歴史
巨人が人間を食うことの恐ろしさは、たんにわれわれ人間が食べられるというだけでなく、巨人という人間と姿が似たものによって食べられるという、いわば人食い的なタブーを感じるせいもあるかと考えられます。
人が人を食べるという行為は、「近親相姦」「殺人」にならんで、上位3番目に入るタブーとされています。
人食いの歴史は古く、また、その背景も多々あります。
人が人を食うことの背景として、大きく分けると日常的背景と非日常的背景とがあります。
ある種の部族では、日常的に人を食べますが、他の種族での人食いは、非日常的であります。
そのようなことが詳しく書かれている本が、『図説 食人全書』 です。
このような大書を読むと、人が人を食べるという行為は、それほど忌むべき行為でもないのかな、と感じてしまうから不思議です。
もちろん、人を食べるために人を殺すという行為は、これはいけません。
それでは、単純に死んだ人を食べる行為だとしたらどうでしょうか?
そこにあるのはただの肉塊です。
料理してしまえば、他の獣肉と変わらないでしょう。
それではそれを食べる行為は、忌むべきものか?
殺人ということを考えなければ、つまり、そこに殺人という行為が付随していなければ、人肉を食べる行為自体、それほどおかしな感じがしない気がするのです。
もちろん、文化や習慣によって、「気持ち悪い」とか「食べたくない」という感情はあります。
それは、昆虫を食べる行為を「気持ち悪い」とか「食べたくない」と思うのと同じ感情なのではないのでしょうか。
『進撃の巨人』の話とは直接は関係ありませんが、われわれの世界において、人肉を食べる行為が「タブー」という前提があるがために、巨人の人食いの行為が、よりいっそう不気味なものと感じているのかもしれませんね。
巨人の生態 5 > 6
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