人間が人間側に立って、不愉快に思っているだけでは、不可解にはなりません。
ミカサが言うように、この世は「弱肉強食」の残酷な世界なのですから。
しかし、“弱肉強食”という時、それは食う側にも理屈があり、食われる側もそれなりに納得できる理由があるから、自然の摂理として受け入れられるのです。
つまり、言ってみれば、食う側は生きるために、栄養(弱者)を捕食しているだけのことです。それが「世界の理(ことわり)」(のはず)です。
では、巨人はどうでしょうか?
巨人は人間を食べるのですが、それは栄養をえるため、つまり、生きるために人間を食っているわけではありません。
※消化できないため、吐き出された人間たちの塊
いわば、自然の摂理、世界の理に反しているのです。
いわば巨人たちは
生きるために人を食っているのではなく、人を食うために生きている
のです。
対照的なのは、この世界(進撃の世界)の人類はみな、生きるために食べ物を食べています。
「食べて、ちゃんと生き残るの。
エレンを飢え死になんてさせない。」
(※第2話 その日 シガンシナ陥落② )
最終話(第25話 「壁」 ストヘス区急襲③ )も、エレンがパンとスープをガツガツ食べて、ぐっすりと眠るシーンで終わりました。
この『進撃の巨人』の世界では、人は生きるために食べているのです。もっといえば、食べなければ生きられないのです。
まぁ、当たり前といえば、当たり前のことです。
でも、本当に当たり前のことですか?
『進撃の巨人』の世界の人類は生きるために食べています。
しかし、『進撃の巨人』を見ている、われわれの世界の人類(※とくに先進諸国、とくに日本人)は、本当に生きるために食べ物を食べていると言えるでしょうか?
戦中・戦後、間もない頃の日本は、「空腹を満たすため」に食べていました。
その後、高度経済成長期は、その重労働に見合う「栄養を摂るため」に食べました。
そして、今日の日本人は、食に満たされ、いったい何のために3食+デザート+…を食べているのでしょうか?
※参照
「なぜ貴様は芋を食べた?」という、上官の問いかけに対し、
サシャは
「それは、なにゆえ人は芋を食べるという話でしょうか?」
と返しています。
なかなか奥の深い言及です。
第2次世界大戦中、食料自給率の40%のデンマークでは、餓死者が出なかったにもかかわらず、農業先進国でもあったドイツでは、多数の餓死者を出しました。
それはなぜか?
デンマークは、全国民が生きられるような、食料政策を取ったというだけのことです。
ドイツでは豚を育てるために、豚に芋を与えました。しかし、デンマークでは芋を豚に与える代わりに、人間にまわした、という実に単純な政策をとったにすぎません。
※詳しくは 『食ベ物の声を聴け!』
本当に今日の日本人の(捕)食行為は、生きるために食べているといえるでしょうか?
食べるために生きているとしたら、それは“巨人”とどう違うというのでしょうか…。
※引用元
巨人の生態 2 > 3 > 巨人の生態 4 ~巨人は「何」をもって、人間を人間と判断しているのか?
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