巨人の生態 3 ~なにゆえ巨人は人を食べるのか?

巨人の生態 の不可解さ、不気味さの最たるものは、人間を食うことでしょう。

人間が人間側に立って、不愉快に思っているだけでは、不可解にはなりません。
ミカサが言うように、この世は「弱肉強食」の残酷な世界なのですから。



しかし、“弱肉強食”という時、それは食う側にも理屈があり、食われる側もそれなりに納得できる理由があるから、自然の摂理として受け入れられるのです。

つまり、言ってみれば、食う側は生きるために、栄養(弱者)を捕食しているだけのことです。それが「世界の理(ことわり)」(のはず)です。

では、巨人はどうでしょうか?

巨人は人間を食べるのですが、それは栄養をえるため、つまり、生きるために人間を食っているわけではありません。

※消化できないため、吐き出された人間たちの塊


いわば、自然の摂理、世界の理に反しているのです。




いわば巨人たちは

生きるために人を食っているのではなく、人を食うために生きている

のです。

対照的なのは、この世界(進撃の世界)の人類はみな、生きるために食べ物を食べています。


「食べて、ちゃんと生き残るの。
エレンを飢え死になんてさせない。」
(※第2話 その日 シガンシナ陥落② 



最終話(第25話 「壁」 ストヘス区急襲③ )も、エレンがパンとスープをガツガツ食べて、ぐっすりと眠るシーンで終わりました。


この『進撃の巨人』の世界では、人は生きるために食べているのです。もっといえば、食べなければ生きられないのです。

まぁ、当たり前といえば、当たり前のことです。

でも、本当に当たり前のことですか?


『進撃の巨人』の世界の人類は生きるために食べています。
しかし、『進撃の巨人』を見ている、われわれの世界の人類(※とくに先進諸国、とくに日本人)は、本当に生きるために食べ物を食べていると言えるでしょうか?


戦中・戦後、間もない頃の日本は、「空腹を満たすため」に食べていました。
その後、高度経済成長期は、その重労働に見合う「栄養を摂るため」に食べました。
そして、今日の日本人は、食に満たされ、いったい何のために3食+デザート+…を食べているのでしょうか?

※参照





「なぜ貴様は芋を食べた?」という、上官の問いかけに対し、

サシャは

「それは、なにゆえ人は芋を食べるという話でしょうか?」

と返しています。

なかなか奥の深い言及です。

第2次世界大戦中、食料自給率の40%のデンマークでは、餓死者が出なかったにもかかわらず、農業先進国でもあったドイツでは、多数の餓死者を出しました。

それはなぜか?

デンマークは、全国民が生きられるような、食料政策を取ったというだけのことです。
ドイツでは豚を育てるために、豚に芋を与えました。しかし、デンマークでは芋を豚に与える代わりに、人間にまわした、という実に単純な政策をとったにすぎません。
※詳しくは 『食ベ物の声を聴け!』


本当に今日の日本人の(捕)食行為は、生きるために食べているといえるでしょうか?
食べるために生きているとしたら、それは“巨人”とどう違うというのでしょうか…。


※引用元





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